2013年02月28日

●2月の鑑賞記録

 2/2
 手塚建築研究所オープンハウス「高床の家」
 地上から半階持ち上げて視線と湿気をカット。長手に鉄骨大梁を架け、床下に空調装置とダクトをスッキリ収納。フレキシブルなワンルーム空間を移動収納で区画。カフェのようなシンプル空間。

 西沢立衛「近作について」@ブリヂストン美術館
 「場所」と「人」に応じて美術館の形が決まるという視点から、金沢21世紀美術館からルーブルランスまでの9つのプロジェクトを紹介。とても整理されていてわかりやすかったです。

 2/3
 DOMANI・明日展 @ 国立新美術館
 文化庁芸術家在外研修制度の成果報告展。作家個展x12として観ると、塩田千春の記憶を結ぶ赤い糸が束なり、立ち上がる迫力が圧巻。池田学の卒制と新作を合わせて観られるのも嬉しい。

日本の民家一九五五年@パナソニック汐留ミュージアム
 白黒写真で捉えた、瓦屋根の連なり、茅葺屋根のボリューム変化、幾何学的な下層と有機的な屋根線の対比、荒々しい梁とガランとした内部空間。自由度の高い動線計画とあいまって、緩やかに全国行脚する。意欲的な企画展。

 2/9
 坂茂「社会貢献と作品づくりの両立を目指して」@ブリヂストン美術館
 紙管、家具、ガラス総引戸、ピクチャーウィンドウ、ガラスシャッター、スオッチ本社ビル、木造燃え代設計、ポンピドーセンターメッツ分館、ハノーバー万博パビリオン。そして震災仮設住宅へ。超高速濃密な90分でした。

ここに、建築は、可能か@TOTOギャラリー・間
 三人の建築家と一人の写真家が「みんなの家」建設に取り組んだ記録。模索、敷地変更、収斂の3ステージを通して作られた膨大な数のスタディ模型が主役。上棟式でテラスから餅を振る舞う建築家たちの晴れ晴れとした笑顔が印象的。

 2/11
 中原淳一展@日本橋三越
 生涯提案し続けた女性のスタイルブックを中心に、人形、間取りなど。膨大な作品を通して、作り手の熱意が伝わってくる。

 2/13
青い日記帳×奇跡のクラーク・コレクション展“特別内覧会”@三菱一号館美術館
 コレクター夫妻が自分たちの眼を信じて集めたコレクション。美しい色彩と明確な輪郭が印象に残る。空いてる時に絵と対話するように観たい。

 2/16
 隈研吾講演会「新しい歌舞伎座について」@サントリー美術館

 論点を歌舞伎座の歴史と継承の物語に絞込み、明晰な語りで観客の心を掴んで新しい歌舞伎座へと誘う。見事な講演でした。

歌舞伎|江戸の芝居小屋@サントリー美術館
 風俗図屏風をズラリと並べて芝居小屋の変遷を辿る前半。浮世絵をズラリと並べて当時の人気役者と演目を紹介する後半。ハードとソフトの両面から歌舞伎の歴史を辿り、第五期歌舞伎座へとつなげる。屏風絵の優品を多数擁するサントリー美術館の面目躍如。

 2/20
 東京ディズニーシー
 トイ・ストーリー・マニア!を狙って平日の開門前に待機するも、入園前にファストパス終了のアナウンス。学生が受験休みに入っていたのが痛かった?

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2013年02月16日

●隈研吾講演会「新しい歌舞伎座について」@サントリー美術館

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 サントリー美術館で開催中の「歌舞伎座新開場記念展 歌舞伎 ―江戸の芝居小屋―」。その一環として開催された記念講演会「新しい歌舞伎座について」を聴講しました。講師は新しい歌舞伎座の設計者隈研吾氏

 新しい歌舞伎座では春夏秋冬異なった照明を計画している。また、夜中まで照らす予定。建物も見所いっぱい。普通の建物の3倍手間がかかっている。多種の布を使っている。とてもこの時間では説明できない。今回は現場では出来ない話として歴史の話。建物について調べていくと、非常に変わった経緯を経て継承されてきたことが分かり、とても面白い。

 歴史と継承
 3F、4Fの展示でその一端がうかがえます。
 1693年頃。伝菱川師宣「上野花見歌舞伎図屏風」。能の影響。通路が舞台。舞台と観客の間に白洲=間があり、空間全体が舞台。さらに飛躍させたのが歌舞伎。
 1779-94。江戸中期。立体的シューボックス型。
 1850年頃。歌川広重「東都名所 猿若町芝居」。江戸後期。
 1872年。三代歌川広重「東京開華名所図絵之内 新富座戯場の図」。明治初期に江戸三座の移転。後に三座を統合して歌舞伎座が誕生。
 1889年。第一期歌舞伎座。洋館+瓦屋根+円形棟飾、玄関は切妻。演劇改良運動の流れを受けて、パリ・オペラ座をモデルに、欧米人が観ても楽しめることを目指して作られた。
 立地は井上馨が「皇居から海に続く道を作らなければならない」と主張して作られた晴海通りに面しており、オペラ通りの突き当たりにオペラ座があるのに倣っている。天井に求心的なシャンデリアがあり、戦後に舞台と一体的な作りとなるのと対称的。照明はガス灯。それまでは昼間の明るい時に上演していた。ガス灯照明見たさに来る人も。
 パリ・オペラ座は1875年に完成。ナポレオンIII世が25年かけてパリを大改造して大通りを作った。金を使って華やか。内部の吹抜空間を大間と呼ぶが、階段が主役で、劇場に来た人がお互いに主役になれる演劇空間。歌舞伎座の洋館+三角屋根構成、シャンデリア、内部空間はオペラ座に倣っている。
 1911年。第二期歌舞伎座。和風の作り。洋風の帝劇ができた影響?唐破風登場。
 1925年第三期歌舞伎座開館。1921年先代が火事で消失、1923年再建中に関東大震災で被災するも、1年で復旧して開館。第四期は戦後、第五期は東日本大震災後。大きな危機の後に建ち上がる因縁がある?
 1924年。第三期歌舞伎座。設計は岡田信一郎。41歳で設計、49歳没。洋式建築の天才。垂直性の高い二棟を並べて間に唐破風。垂直に伸びる洋風、水平に伸びる和風の良いとこどりミックス。柱の表現が立体的。風呂・ホテル建築に真似された。何故か?目立つ必要があるから。壁は何色だったか?写真で見ると黄色っぽいけれども、顔料をすり潰してみると炭のあとに白がでた。真っ白だったのだろう。コンクリート造。日本の型枠大工は世界一。大工が上手いから。斗供、屋根の反りもコンクリート。唐破風のカーブは途中で勾配が反転するので雨が漏る。贅沢に銅板敷いて瓦を葺いている。何故瓦で葺くか?洋風建築だから。大間のバルコニーは曲線。
 1950年。第四期歌舞伎座。先代が空襲でほとんど消失。設計は吉田五十八。数寄屋造住宅の名手。双翼+切妻屋根のスッキリとした和風建築。
 2013年。第五期歌舞伎座。銀座協議会と協議して設計を進めている。
 大間。赤い漆塗りの柱に提灯の意匠は、今回はウレタン塗装7回塗りで再現。華やかさが重要なので、バルコニーは曲線に戻す。照明は間接照明に。カーペットは残っていたものを調べて平等院鳳凰堂曼荼羅を再現。
 劇場。天井は巨大な竿縁天井+間接照明。壁の業平格子は繊維を固めて作ったので燃えやすいので、今回はガラス繊維を混ぜたセメント板で再現。座席からの舞台への可視線計算を行い、どこからでも花道が見えるように。障害となる柱はなくしている。椅子は大型化して、わずかに金糸を用いて華やかに。全体の空間ボリュームが大きくなって音響も改善。蛍光灯をLEDに変更して色温度の再現性も向上。外壁は微妙にクリームかかった白。木場に原寸を作って確認。
 時代の変化。20世紀は工業、効率。それ以前の祝祭都市の時代に戻る。鉄骨造。棟を下げて広場。柱と壁の間に目地を入れる。分節されて軽快に見える。屋根の垂木の反りは一本一本違うので、垂木はアルミで作る。さらに軽快に。柱型はGRC(ガラス繊維補強セメント)。サッシはスチールだと錆びるので、アルミで作ってスチールの細さに見せる。外壁は粉体塗装で漆喰の質感を再現。
 説明を聞いて実物を観ると良く分かる。新しい歌舞伎座へどうぞ。

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 論点を歌舞伎座の歴史と継承の物語に絞込み、明晰な語りで観客の心を掴んで新しい歌舞伎座へと誘う。見事な講演でした。

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2013年02月13日

●青い日記帳×奇跡のクラーク・コレクション展“特別内覧会”@三菱一号館美術館

 三菱一号館美術館で開催中の「奇跡のクラーク・コレクション」。その関連イベントである「青い日記帳×奇跡のクラーク・コレクション展“ブロガー・特別内覧会”」に参加しました。青い日記帳のTakさん、いつも御世話になっております。

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 まずはお隣の「MARUNOUCHI CAFE 倶楽部21号館」にて、担当学芸員の阿佐美淑子さんから展覧会の解説。

 ボストンから車で4~6時間。あまりに遠くて日本人はほとんど行ったことのない、人口6千人の小さな町、ウィリアムズタウン。そこで個人宅のような雰囲気の中で鑑賞する宝石のようなコレクション。
 美術館の増改築工事を機に、そこからルノワール22点を始めとして、コロー、ミレー、バルビゾン派、ドガ、モネ等の珠玉のコレクション73点が来日する奇跡!これを観るだけでフランス絵画の歴史が学べてしまう!
 作品解説。続々登場する美しい絵画に、持ち時間20分はあっという間に過ぎて、トークが止まりません!

 そして展覧会会場へ。

 注:画像は主催者の許可を得て撮影したものです。

 まずは3階から。コローがズラリと並びます。フローリングの上に絨毯を敷くことで靴音を消音し、鑑賞に集中できます。
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 そして「光の絵画」たちが続々登場。
 ピエール・オーギュスト・ルノワール「シャトゥーの橋」、「日没」。光に溶け込むような色合い、表現がとても美しい。とろけ具合がモネみたい。
 クロード・モネ「エトルタの断崖」。色彩豊かかつ硬質にクッキリと描かれた風景がとても美しい。確かな存在感がモネっぽくない。
 ギュスターヴ・カイユボット「アルジャントゥイユのセーヌ川」。三角構図でナミナミと水を湛えるセーヌ川の青が美しい。
 美しい色彩としっかりとした描線の作品が並び、コレクターの好みが強く反映されたコレクションであることが伺えます。
 その奥はルノワール部屋。
 「劇場の桟敷席(音楽会にて)」。右上に塗りこまれたと言う男性像を求めて、しゃがみこんで観る人続出。確かに男性の頭部と両手らしい輪郭が見えます。
 「タマネギ」。タマネギまでもが劇的なルノワールタッチで描かれます。
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 展示室を出ると、廊下の外にはブリックスクエアの夜景が広がります。
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 2階に下りて、ピサロとシスレーの部屋。なぜかこの先数室だけ、床がフローリングのまま。
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 壁の色は青、そして赤へ。
 アルフレッド・ステヴァンスの「公爵夫人(青いドレス)」。赤い壁に青いドレス、さらに暖炉の上という配置に青が映えます。
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 最後に再び「光の絵画」。
 ピエール=オーギュスト・ルノワール「鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)」。非常に愛らしい少女の仕草と、色彩豊かな衣装と背景。とても美しい。
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 コレクター夫妻が自分たちの眼を信じて集めたコレクション。美しい色彩と明確な輪郭が印象に残る。空いてる時に絵と対話するように観ることをお薦めします。

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2013年02月09日

●ここに、建築は、可能か@TOTOギャラリー・間

 TOTOギャラリー・間で開催中の「ここに、建築は、可能か」を観ました。
 「第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」出展に際して、コミッショナー伊東豊雄氏が設定したテーマが「ここに、建築は、可能か」。氏の呼びかけにより3人の建築家-乾久美子氏、平田晃久氏、藤本壮介氏-と、一人の写真家-畠山直哉氏-がこの課題に取り組みます。その過程で作られた膨大な数のスタディ模型が本展3Fの主役です。

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 プロセス1 [~2012年1月26日]:初期の建設候補地「大隅仮設団地」に対する提案
 手法的な模索に終始して、きっかけが掴めない感じ。

 プロセス2 [2012年1月27日~2月26日]:2012年1月27日、建設地が「高田町大石」に決定してからの提案。丸太を使った案に収斂していく
 ザックリとした模型でイメージを掴む想像力の豊かさと、色々な可能性を模型によってシュミレーションしてゆく手数の多さが印象的。ラフな杉丸太を何本も建てて屋根をドーンと持ち上げる模型は「一つのイメージを共有した瞬間!」と言う感じが伝わってくる気がします。背景に貼られた畠山さん撮影の現地写真も、構想と実空間をオーバーラップさせる媒体として効果的。

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 プロセス3 [2012年2月27日~]:丸太柱案が決定してからの提案。最終案までさらに議論が続く
 建築と通して一つのストーリーを貫徹しようと、積み上げられる検討の数々。

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 最終案模型[縮尺:1/10]
 素材、デザイン、仕上げ等を直に切ったり貼ったりしながら最終決定。三人の意見集約がスムーズだったのも、ここに至る意見交換の賜物だろうと思わせます。背後に並ぶおよそ120点のスタディ模型と添えられたコメントの数々が雄弁に語ります。

 中庭にある「杉丸太による構築物」を眺めながら4Fへ。
 陸前高田市出身の写真家・畠山直哉氏が撮影した写真による、陸前高田の「みんなの家」のプロセスと、津波被害を受ける前/後の同市の記録展示
 上棟式でテラスから餅を振る舞う建築家たちの晴れ晴れとした笑顔が印象的。

 本展だけを観ると、「「第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」において「金獅子賞」を受賞した展示」の凱旋展示です。コミッショナー伊東豊雄さんの著書「あの日からの建築」においては、「みんなの家」は「つくること」と「住むこと」の境界をなくそうとする試みであること、さらに行動の原点にとして「建築家は本当に必要とされているのか」という問いかけがでてきます。東日本大震災後の建築に位置づけとして、視野広く捉えたいテーマです。

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●坂茂「社会貢献と作品づくりの両立を目指して」@ブリヂストン美術館

 ブリジストン美術館で開催中の土曜講座「21世紀の美術館づくり」。その第2回目「社会貢献と作品づくりの両立を目指して」坂茂氏(建築家)の聴講メモです。

 災害支援
 「建築家はあまり社会の役に立っていないのではないか?」という思いがある。建築家は特権階級の財力、政治力の下でモニュメンタルなものを作ってきた。何か社会的なことができないか?地震で人が亡くなるのではなく、家が倒れて人が亡くなる。被災した方々が、飯場の小屋のような仮設住宅に住む。建築家はそこにはいない。特権階級との仕事で忙しい。

 紙管
 1984年までアメリカ留学、1985年に設計事務所設立。仕事もないのでアクシス・ギャラリーでキュレーターをしていた。アアルト展の展示設計の際に、予算は限られているし木を使って会期後捨てるのはもったいないので、トレーシングペーパーの芯を使ってみた。

 家具の家
 ローコスト住宅の開発。家具は地震があっても壊れない。家具で家を作る。工場で構造家具を作り、敷地で立てて、屋根を架ける。表面は塗装済み、外壁面内側には断熱材付き。アメリカで建てた際はフィンガージョイントを使って更に簡単に。15年経ってようやく、この春から無印良品でお目見え。

 ノマディック・ミュージアム
 グレゴリー・コルベール展用の移動美術館。船積みコンテナを利用。規格が統一されて、世界中どこにでもある。ニューヨーク会場の埠頭が古かった(タイタニック号の係留予定地だった!)ので、市松模様に積んで軽量化。紙管柱+膜屋根。移動、リサイクル化。サンタモニカ会場では、会場長さが足りず二棟に分割。作家からの依頼で建物間にシアタースペースを計画。移動する度に大きくなった。

 カーテンウォールの家
 ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸は、建物全面が固定透明ガラスで覆われていて、視覚的に透明。日本の伝統家屋は建具を開け放つことでフィジカルに透明。新しい家でもこの良さを残したいと考え、ガラス引戸を開けると全開になる家を計画した。外周部にカーテンを吊っていることと、ミースがカーテンウォールを発明したことを掛けて、カーテンウォールの家と名付けた。

 2/5ハウス
 敷地を短冊状に外-中-外-中-外の5分割したので、2/5だけ中の家。ガラス引戸を全開にすると、大きなワンフロアになる。ミースの透明と日本伝統家屋の透明の両方を使った。

 9スクェア・グリッドの家
 内部空間を縦横3の9分割、水廻りの2ブロックのみ固定。両側に収納兼構造壁を建てて屋根を架ける。可動間仕切りで自由に仕切る。

 ピクチャーウィンドウの家
 20mスパン全てを開放できる。建物丸ごとピクチャーウィンドウ。

 ピクチャーウィンドウの家2
 スマトラ地震の復興支援の際に知り合った、ベルギー人のお金持ちの家。斜面を上がって中心へ向かう。光と風をルーバーでコントロール。

 ガラスシャッターの家
 レストラン+住宅。ガラスシャッターを上げると、中と外が連続。

 ガラスシャッターの家コートハウス型
 中庭を囲んで建つガラスシャッターハウス。シャッターを上げるとリビングとプールが連続。

 ニコラス G ハイエックセンター
 銀座にあるスウォッチ社7ブランドのショールーム。国際コンペ。施主の言うことをきかずに提案して運良くとった。敷地の特徴は間口が狭く、緑がないこと。4つのブランドを独立して通りに面するよう作って欲しいと言う要望だったが、1つのブランドしか面して作れない。そこでビルの中にパッサージを通し、そこに面して各ブランドのショールームを設けた。さらにショールームはエレベーターになっていて、各ブランドのショールーム階に直通している。通りと建物はガラスシャッターで仕切り、天気の良い日はシャッターを上げて外と一体化する。駐車場は地下に設けている。エレベーター屋根は1F床を兼ねており、不使用時は地下に沈んで全く見えない。14階のイベントホールの天井はポンピドーセンター分館の屋根の試作品で、鉄で作った。

 チェルシーのコンドミニアム
 チェルシーは元々倉庫地区であり、シャッター街なので、コンドミニアムの外部開口に鉄製シャッターを使っている。シャッターはルーバー状の半透明で、防犯、防火に加えて、蚊対策の網戸を兼ねている。

 GC 大阪営業所ビル
 歯科医療メーカーの自社ビル。燃えしろ設計の考え方を応用して、木製耐火被覆を実現。鉄の柱に木製の耐火被覆を巻き、そのまま内装としている。

 今井篤記念体育館
 LVL(単板積層材)を用いた架構。曲げられるのが特徴。最小限の木で最大限のスパンを追求。屋根だけ地上に出して、建物は地下に埋めている。

 ポンピドーセンター・メッス
 ポンピドーセンター・メッスを設計するためにパリに事務所を構えたかったが、パリは家賃が高い。ポンピドーセンターのテラスを貸してくれと頼んで、長さ32mの紙管構造の仮設事務所を作った。展示の一部なので、来客はチケットを買って入館する必要があった。
 メッスらしいものを作りたい。当時はビルバオ・エフェクト(グッゲンハイム・ビルバオの奇抜なデザインが話題を呼んで観光客が増えた。その一方で美術館関係者からは不評だった。)が話題になっており、またその反対に古い建物を購入して改装する例(テート・モダン、ディアビーコン等)も多かった。自分から見るとどちらも行きすぎで、使い勝手が良く、建築としても面白いことがテーマ。
 そこで、細長いギャラリーをそれぞれ方向をずらして3層重ねる。展示室の奥はピクチャーウィンドウになっており、それぞれから街のシンボルである大聖堂、中央駅等が見えるように計画。さらに1階はガラスシャッターをつけて、どこからでも入れるようにして、美術館と街の一体化を図る。屋根は中国で見つけた竹編みの帽子にヒントを得て、六角形に編んだ形+断熱材の木構造を考案。六角形はフランス国土の形に似ており、フランスの象徴でもある。ナショナリティをくすぐる提案は国際コンペにおいて重要。屋根は吊構造で、鉄を使わずに実現。

 ナインブリッジズ・ゴルフクラブハウス
 六角形に編んだ屋根を圧縮アーチとして使う。柱に流れる力をそのまま見せる。

 紙の構造http://www.mizdesign.com/mt/mt.cgi?__mode=view&_type=entry&blog_id=1&id=986&saved_changes=1#
 小田原パビリオン。半年間使う仮設建築。紙管を構造材として使う認定をとっていなかったので、鉄骨を主構造として風圧だけを受ける内装材として使う。
 紙の家。自分の別荘。紙を構造材に使う認可をとったがお金がなくて建てられないでいたところ、として実現することが出来た。後に別荘も実現したが、忙しくて全く使っていない。
 ハノーバー国際博覧会日本館。フライ・オットーのグリッドシェル構造を紙で実現。解体時がゴールのリサイクルしやすい建物を目指す。コンクリートの代わりに砂を詰めた袋を使う、屋根のジョイント部は不燃布で留める、屋根は不燃紙の膜を開発して使う。唯一のハイテクは、地組みした屋根材を揚重する際に屋根にアンテナを着けてGPSでレベルをチェックしたこと。

 国連難民高等弁務官事務所用の紙のシェルター
 ルワンダ。粗末な仮設住居があるが、雨季は毛布に包まって耐えている。現地に行って、担当建築家をつかまえて直談判した。難民による森林伐採が問題になっており、また代替材としてアルミを支給しても難民が売ってしまうという課題に直面している時に紙の建築を持っていったので、運良くコンサルタントとして雇ってもらった。ヴィトラ社の協力で仮設住宅を提案。ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの有名建築家作品群の中で、一番安価な展示品。居心地が良いと住みついてしまうので、1軒50ドルの最小限の作り。

 紙の教会、紙のログハウス-神戸
 阪神大震災の災害支援。どこに行って良いか分からないので、ベトナム難民の居住区へ。焼けた鷹取教会を紙で建て直そうと提案。神父さんに、焼けたばかりで紙とはアホかといわれた。
 ベトナム難民はこの地区のケミカルシューズ工場でしか仕事がないので、離れた場所の仮設住宅には移らない。近くの公園に仮設住宅を作って住み出したが、近隣住民がずっと住みつくのではないかと心配し始めた。キレイな仮設住宅を作ろうと提案。ビール会社から寄贈してもらったビールケースに砂を詰めて基部とし、紙管建築+テント膜屋根で実現。ビールケース寄贈のさいには中身もついてくるのではと楽しみにしていたら、しっかりケースだけだったのでガッカリしたのを今でも覚えている。
 神父さんの信頼を得て、お金を集めて、学生を集めて紙の教会を建設。10年経って教会は建替え、紙の教会は台湾の被災地に贈られて活用されている。
 紙でもパーマネントな建物になるし、コンクリートでもすぐ取り壊されるものもある。人が建物をどれだけ愛してくれるかが大切。

 紙のログハウス-トルコ、インド
 トルコでは現場養生シートをゼネコンから寄付を募り、屋根材として使用。仮設住宅をボランティアの手で建設。
 インドではテキスタイルを巻く紙管を活用。土地柄ビールケースが入手できなかったので、コカコーラだねといわれたが色が合わないので土間を作って基礎にした。屋根は網代マットを二重にして間にビニールシートを挟んだ。

 津波後のキリンダ村復興プロジェクト
 家具をプラグインして早く作れるよう工夫。居室とキッチン・シャワー・トイレを離して計画。その間のスペース(屋根付屋外スペース)は食事等で有効活用されている。

 成都市華林小学校紙管仮設校舎 - 四川大地震復興プロジェクト
 仮設住宅事業によそ者を入れたくない。小学校を作って欲しいという要望を受けて建設した紙管建築。ボランティアを募って1ヶ月合宿して3棟建て、3年経った今でも活用されている。

 ラクイラ仮設音楽ホール
 音楽で有名な街。仮設の音楽ホールを提案したところ、お金集めも自分でやるなら良いよと許可をもらった。G8サミットが当地で開催された際に麻生元首相とベルルスコーニ首相が仮設音楽ホールの建設を発表。結局日本政府から6千万円寄付してもらった。防音性能が必要なので、壁に砂袋を詰めて赤い布を巻いている。相馬に子供オーケストラの拠点を作ろうとお金集め中。

 ハイチ地震復興支援 緊急シェルター
 無政府状態なのでとなり町で作って週末に現地で組み立て。

 Paper Partition System 4 / 避難所用 紙の簡易間仕切りシステム4
 東日本大震災の避難所として使われている体育館では、全くプライバシーも人権もない状態。紙管+カーテンで間仕切りを作ることをプレゼンして回った。作るのは簡単だが、作らせてもらうのが大変。役人の中には「見えた方が管理しやすい」とはっきり言う人もいた。50ヶ所以上回って、1800ユニット以上建設。夏は蚊が発生するので、蚊帳を配布する活動も行った。

 コンテナ多層仮設住宅 - 宮城県女川町
 政府の建てる仮設住宅は、住棟間隔が狭くてのぞかれやすくプライバシーがない。とても貧しい住環境。提案してもダメで、実力行使あるのみ。プレゼンして回る。政府の仮設住宅と全く同じ費用(建設費+外構費)で3階建ての仮設住宅を実現。積むことで敷地にゆとりが出来て、駐車場、マーケット、図書館を併設。全国からボランティアを募って、造り付け収納家具を設置。コンテナに居室・浴室・トイレを格納して、その間にリビング・キッチンを計画。

 ニュージーランドクライストチャーチ 紙の教会
 紙管+ポリカーボネイトの教会。

 モニュメンタルな建築と災害支援活動を両立していきたい。

 QandA
Q.災害がある度に飛び出していく活動と、建築家としての仕事。どう両立されているのですか?
A.設計料の交渉はパートナー任せ。やりたいことだけをやっている。必要と思ったらやる。女川町の仮設住宅に住む人たちは従来の仮設住宅のくじに外れた人たち。女川一運が悪いと言っていたが、今では女川一運が良いという。やりがいを感じる。

Q.ポンピドーセンター・メッスにおいて運営側と意見の相違がある場合。どう解消?
A.設計中ということですね?キュレーターは設計に参加しない。館長の力が強く、方針を決める。アスペンでも館長と全て打ち合わせ。日本では設計時は館長がおらず、開館前になってから選ぶことが多い。
 意見の相違はあまりない。コンペ時の要求がかなえられているか。方針が書面ではっきりしている。館長の言うとおりにやった。

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2013年02月06日

●西沢立衛「近作について」@ブリヂストン美術館

 ブリジストン美術館で開催中の土曜講座「21世紀の美術館づくり」。その第1回目「近作について」西沢立衛氏(建築家)の聴講メモです。

 金沢21世紀美術館
 美術館の設計に際して、これという方針はない。どんなとこ?どんな人が使う?「環境」と「人」を考えて毎回設計している。共通点は「開かれた建築」、「街の経験につながるもの」。
 美術館と交流施設。現代美術と地元の伝統工芸を扱う。四方八方からアプローチ可能な立地のため、5ヶ所の玄関を設けたウラのない建物。
 コンペ時は別々に建てる要求だったが、一つの建物として提案した。
 円形平面の平屋建。1Fは公共空間、地階に収蔵庫等を納める。屋根のデコボコは、天井高さの違い。
 展示室を分散配置して、通り抜け通路を設ける。外周は無料ゾーン、内側は有料ゾーン。中の様子が外から見えることで、相互交流を深める。離すことで順序を作らない。動線が面的になり、自由に観られる。キュレーター側への提案でもある。平面が大きいので、奥に光庭。屋外展示室も兼ねる。展示室は壁+ガラス天井+トップライトのホワイトキューブ的な空間。
 交流館はガラスのレクチャーホール。美術館の活動を外に伝える。外壁ガラス面に図書館。振り返ると美術館が見える。朝顔プロジェクト等、外壁を利用したワークショップも行われた。

 サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2009(ロンドン)
 ハイドパークに夏の間設置されるパヴィリオン。設計条件は、展示終了後にコレクターに販売するので解体再建築可能なこと、集会場とカフェを設置すること。
 建築が既存樹木を避けてカーブしながら、公園に広がっていく。屋根だけ作る。立地条件に応じて屋根高さを変える。大通りに面したところは高く、一番低いところは60cm程度。雨樋がないので、雨が降ると滝を突き抜けて入る感じ。アルミを磨いた天井面に公園の緑が映り込む。天井を傾斜させて遠くの緑を映し込む。梁のない形状。屋根面も同じ仕上げで、大きな木々、空を映しだす。建築を建てることで、環境の良さを増幅する。

 十和田市現代美術館
 官庁建築に面した立地。歯抜け土地を市が購入してアート施設に。アートによる街再生プロジェクト。
 通りの一部としての美術館。一つの箱に一人のアーティスト。寸法も個別に決める。展示室から展示室へ移動する際に十和田の風景が見える。それぞれの展示室にチケットブース、図書室といった機能を持たせる。向きもバラバラ。屋外も展示空間として活用。街から見たときに境界を感じない空間を作る。天井高さの異なる箱の集合で、山のような外観。

 ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(ニューヨーク)
 最先端の現代美術のようなものを展示する。元ホイットニー美術館のキュレーターがブロードウェイで建物を借りて運営していたが、自前の建物を持ちたいということでバワリー通りに美術館を建設。観光客が近づきにくい立地に美術館ができるということで話題に。作品かどうかわからないものがこれから計画されていく。
 積層型の高層建築。各階を平面的にずらすことで、中間階でもトップライトを設けられる。板金の店の多いエリアなので、板金を使って外壁を作る。分節することで、周囲にあったスケール感にする。1階を無料スペースに。倉庫みたいに仕上げない展示室。EVによる昇降だけでなく、可能な限り階段も計画。うるさい下層部でなく、静かな上層部に公共空間を設ける。

 豊島美術館
 瀬戸内海の他の島と異なり、水が豊かで緑が多い。始めに福武さんに「環境、建築、芸術、全てが一体となったものを作って欲しい。」と言われた。自分たちが常に考えていることでもある。
 水滴のような自由曲線で出来たワンルーム建築。地形に合わせて作れる。断面も曲線で求心性を持たせる。コンクリートシェル工法で三次曲面を実現。コンクリートを一体で打つ必要があるので、現場発生土を使ってマウンド状の型枠を作り、24時間かけてコンクリートを打った。
 作品と環境の一体化。チケットブースを出ると、海に向かって歩いていく。左手には棚田が広がり、森を抜けて建物にいたる。狭いエントランスを抜けると、内藤さんの展示:水が地面から湧き出て集まっていく様が広がる。水の集まる部分上部に大きく開いた開口部がある。建物は作品のために閉じ、外に開いている。

 軽井沢千住博美術館
 緑を感じる、壁のない美術館。敷地は4mの段差がある斜面。斜面をそのまま床とし、屋根は違うカーブで形成。天井高さも変化。時代ごとにまとめて展示。中庭を通って次の時代へ移動。作品を寛ぎながら感じられるよう、作品を囲うようにソファを配置。外には緑。

 スイス連邦工科大学ローザンヌ校ラーニングセンター
 キャンパスの公共空間(ラーニングセンター)。中心となる施設にしたい。コンペにて大きなワンルームかつジャンプした建築、シンプルな動線計画を提案。1-3階が連続的につながる。3階のカフェから海、キャンパスが見える。建物、環境が相互に影響する建築。

 コネチカット州の地域コミュニティー(現在進行中)
 みんなの場所。放棄された農園を買い取って使う。色々な高さ。礼拝堂、展示室、体育館。外にホッケー場など。人と動物のための建物。建築が全てでないものを作ろう。

 ルーヴル・ランス
 労働者住宅と炭鉱と関連施設が主な町。パリ中央集権改造の一環として計画?環境と巨大建築(4万m2)をどう作るか。分散して高低差にも変化をつける。収蔵庫等は地下に納めて、地上を全て人に開放する。
 ルーブル美術館からいわれたのは、「ルーブルの作品は紀元前4千年前から19世紀に渡っている。終わった歴史にしたくない。今につながっていくことを考えてくれ。」。細長く作って時間軸に沿って展示する。横軸に地域差。床は斜面。最後はガラスギャラリーで19世紀産業の遺産を見せる。常設は時間の流れ、企画はその一部をクローズアップして展示。壁はアルミにして作品を来館者を映す。歴史の時間の大きさを感じる。

 街の経験、環境的な広がりから違うものができてくる。

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2013年02月02日

●手塚建築研究所オープンハウス「高床の家」

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 手塚建築研究所オープンハウス「高床の家」に行ってきました。住宅街の中に建つ、鉄骨造2階建ての個人住宅です。この建物の特徴は、家を半階持ち上げることで近隣との視線をずらして開放的な間取りとすると同時に、地面と切り離すことで湿気面でも非常に快適な住空間を作ること。長手方向に鉄骨大梁を架けて建物を浮かすことで、外観も非常にスッキリとしています。

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 半階分の屋外階段を上がると、1階リビング・ダイニング・キッチン。長手両面に横長連窓が嵌め込まれたワンルーム空間。サッシは非常に堅い南洋材を用いた木枠にペアガラス引戸。まだ家具がないこともあって、非常に開放的な空間です。

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 屋外階段または屋内階段を上がると、2階寝室・納戸・洗面浴室。納戸の収納は可動式で、将来子供部屋が必要になったら収納位置をずらして対応。天井をスッキリと見せるため、空調装置及び吸排気口は床側に設置。床の湿気を取り除けるので、居住性の向上にもつながります。これは1階も共通。

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 1階に戻ってキッチン。非常に火力のあるガスコンロを装備。フードは設けず、外壁面に設けた換気扇で強制排気。大胆な計画ですが、建築家の自邸で実験済みだそうです。

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 リビングに設置された小型薪ストーブ。発熱量はこの建物全体をまかなえるくらいあるそうです。ストーブの大きさは市販の薪の最小寸法が1フィートであることから決まっているそうですが、最近は施主さんが自分で廃材を割って使う場合もあり、その場合はもっと小型化も可能とのこと。

 明快に整理された住環境のルールに基づいて計画された、非常にシンプルな住空間です。

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