2013年02月09日

●坂茂「社会貢献と作品づくりの両立を目指して」@ブリヂストン美術館

 ブリジストン美術館で開催中の土曜講座「21世紀の美術館づくり」。その第2回目「社会貢献と作品づくりの両立を目指して」坂茂氏(建築家)の聴講メモです。

 災害支援
 「建築家はあまり社会の役に立っていないのではないか?」という思いがある。建築家は特権階級の財力、政治力の下でモニュメンタルなものを作ってきた。何か社会的なことができないか?地震で人が亡くなるのではなく、家が倒れて人が亡くなる。被災した方々が、飯場の小屋のような仮設住宅に住む。建築家はそこにはいない。特権階級との仕事で忙しい。

 紙管
 1984年までアメリカ留学、1985年に設計事務所設立。仕事もないのでアクシス・ギャラリーでキュレーターをしていた。アアルト展の展示設計の際に、予算は限られているし木を使って会期後捨てるのはもったいないので、トレーシングペーパーの芯を使ってみた。

 家具の家
 ローコスト住宅の開発。家具は地震があっても壊れない。家具で家を作る。工場で構造家具を作り、敷地で立てて、屋根を架ける。表面は塗装済み、外壁面内側には断熱材付き。アメリカで建てた際はフィンガージョイントを使って更に簡単に。15年経ってようやく、この春から無印良品でお目見え。

 ノマディック・ミュージアム
 グレゴリー・コルベール展用の移動美術館。船積みコンテナを利用。規格が統一されて、世界中どこにでもある。ニューヨーク会場の埠頭が古かった(タイタニック号の係留予定地だった!)ので、市松模様に積んで軽量化。紙管柱+膜屋根。移動、リサイクル化。サンタモニカ会場では、会場長さが足りず二棟に分割。作家からの依頼で建物間にシアタースペースを計画。移動する度に大きくなった。

 カーテンウォールの家
 ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸は、建物全面が固定透明ガラスで覆われていて、視覚的に透明。日本の伝統家屋は建具を開け放つことでフィジカルに透明。新しい家でもこの良さを残したいと考え、ガラス引戸を開けると全開になる家を計画した。外周部にカーテンを吊っていることと、ミースがカーテンウォールを発明したことを掛けて、カーテンウォールの家と名付けた。

 2/5ハウス
 敷地を短冊状に外-中-外-中-外の5分割したので、2/5だけ中の家。ガラス引戸を全開にすると、大きなワンフロアになる。ミースの透明と日本伝統家屋の透明の両方を使った。

 9スクェア・グリッドの家
 内部空間を縦横3の9分割、水廻りの2ブロックのみ固定。両側に収納兼構造壁を建てて屋根を架ける。可動間仕切りで自由に仕切る。

 ピクチャーウィンドウの家
 20mスパン全てを開放できる。建物丸ごとピクチャーウィンドウ。

 ピクチャーウィンドウの家2
 スマトラ地震の復興支援の際に知り合った、ベルギー人のお金持ちの家。斜面を上がって中心へ向かう。光と風をルーバーでコントロール。

 ガラスシャッターの家
 レストラン+住宅。ガラスシャッターを上げると、中と外が連続。

 ガラスシャッターの家コートハウス型
 中庭を囲んで建つガラスシャッターハウス。シャッターを上げるとリビングとプールが連続。

 ニコラス G ハイエックセンター
 銀座にあるスウォッチ社7ブランドのショールーム。国際コンペ。施主の言うことをきかずに提案して運良くとった。敷地の特徴は間口が狭く、緑がないこと。4つのブランドを独立して通りに面するよう作って欲しいと言う要望だったが、1つのブランドしか面して作れない。そこでビルの中にパッサージを通し、そこに面して各ブランドのショールームを設けた。さらにショールームはエレベーターになっていて、各ブランドのショールーム階に直通している。通りと建物はガラスシャッターで仕切り、天気の良い日はシャッターを上げて外と一体化する。駐車場は地下に設けている。エレベーター屋根は1F床を兼ねており、不使用時は地下に沈んで全く見えない。14階のイベントホールの天井はポンピドーセンター分館の屋根の試作品で、鉄で作った。

 チェルシーのコンドミニアム
 チェルシーは元々倉庫地区であり、シャッター街なので、コンドミニアムの外部開口に鉄製シャッターを使っている。シャッターはルーバー状の半透明で、防犯、防火に加えて、蚊対策の網戸を兼ねている。

 GC 大阪営業所ビル
 歯科医療メーカーの自社ビル。燃えしろ設計の考え方を応用して、木製耐火被覆を実現。鉄の柱に木製の耐火被覆を巻き、そのまま内装としている。

 今井篤記念体育館
 LVL(単板積層材)を用いた架構。曲げられるのが特徴。最小限の木で最大限のスパンを追求。屋根だけ地上に出して、建物は地下に埋めている。

 ポンピドーセンター・メッス
 ポンピドーセンター・メッスを設計するためにパリに事務所を構えたかったが、パリは家賃が高い。ポンピドーセンターのテラスを貸してくれと頼んで、長さ32mの紙管構造の仮設事務所を作った。展示の一部なので、来客はチケットを買って入館する必要があった。
 メッスらしいものを作りたい。当時はビルバオ・エフェクト(グッゲンハイム・ビルバオの奇抜なデザインが話題を呼んで観光客が増えた。その一方で美術館関係者からは不評だった。)が話題になっており、またその反対に古い建物を購入して改装する例(テート・モダン、ディアビーコン等)も多かった。自分から見るとどちらも行きすぎで、使い勝手が良く、建築としても面白いことがテーマ。
 そこで、細長いギャラリーをそれぞれ方向をずらして3層重ねる。展示室の奥はピクチャーウィンドウになっており、それぞれから街のシンボルである大聖堂、中央駅等が見えるように計画。さらに1階はガラスシャッターをつけて、どこからでも入れるようにして、美術館と街の一体化を図る。屋根は中国で見つけた竹編みの帽子にヒントを得て、六角形に編んだ形+断熱材の木構造を考案。六角形はフランス国土の形に似ており、フランスの象徴でもある。ナショナリティをくすぐる提案は国際コンペにおいて重要。屋根は吊構造で、鉄を使わずに実現。

 ナインブリッジズ・ゴルフクラブハウス
 六角形に編んだ屋根を圧縮アーチとして使う。柱に流れる力をそのまま見せる。

 紙の構造http://www.mizdesign.com/mt/mt.cgi?__mode=view&_type=entry&blog_id=1&id=986&saved_changes=1#
 小田原パビリオン。半年間使う仮設建築。紙管を構造材として使う認定をとっていなかったので、鉄骨を主構造として風圧だけを受ける内装材として使う。
 紙の家。自分の別荘。紙を構造材に使う認可をとったがお金がなくて建てられないでいたところ、として実現することが出来た。後に別荘も実現したが、忙しくて全く使っていない。
 ハノーバー国際博覧会日本館。フライ・オットーのグリッドシェル構造を紙で実現。解体時がゴールのリサイクルしやすい建物を目指す。コンクリートの代わりに砂を詰めた袋を使う、屋根のジョイント部は不燃布で留める、屋根は不燃紙の膜を開発して使う。唯一のハイテクは、地組みした屋根材を揚重する際に屋根にアンテナを着けてGPSでレベルをチェックしたこと。

 国連難民高等弁務官事務所用の紙のシェルター
 ルワンダ。粗末な仮設住居があるが、雨季は毛布に包まって耐えている。現地に行って、担当建築家をつかまえて直談判した。難民による森林伐採が問題になっており、また代替材としてアルミを支給しても難民が売ってしまうという課題に直面している時に紙の建築を持っていったので、運良くコンサルタントとして雇ってもらった。ヴィトラ社の協力で仮設住宅を提案。ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの有名建築家作品群の中で、一番安価な展示品。居心地が良いと住みついてしまうので、1軒50ドルの最小限の作り。

 紙の教会、紙のログハウス-神戸
 阪神大震災の災害支援。どこに行って良いか分からないので、ベトナム難民の居住区へ。焼けた鷹取教会を紙で建て直そうと提案。神父さんに、焼けたばかりで紙とはアホかといわれた。
 ベトナム難民はこの地区のケミカルシューズ工場でしか仕事がないので、離れた場所の仮設住宅には移らない。近くの公園に仮設住宅を作って住み出したが、近隣住民がずっと住みつくのではないかと心配し始めた。キレイな仮設住宅を作ろうと提案。ビール会社から寄贈してもらったビールケースに砂を詰めて基部とし、紙管建築+テント膜屋根で実現。ビールケース寄贈のさいには中身もついてくるのではと楽しみにしていたら、しっかりケースだけだったのでガッカリしたのを今でも覚えている。
 神父さんの信頼を得て、お金を集めて、学生を集めて紙の教会を建設。10年経って教会は建替え、紙の教会は台湾の被災地に贈られて活用されている。
 紙でもパーマネントな建物になるし、コンクリートでもすぐ取り壊されるものもある。人が建物をどれだけ愛してくれるかが大切。

 紙のログハウス-トルコ、インド
 トルコでは現場養生シートをゼネコンから寄付を募り、屋根材として使用。仮設住宅をボランティアの手で建設。
 インドではテキスタイルを巻く紙管を活用。土地柄ビールケースが入手できなかったので、コカコーラだねといわれたが色が合わないので土間を作って基礎にした。屋根は網代マットを二重にして間にビニールシートを挟んだ。

 津波後のキリンダ村復興プロジェクト
 家具をプラグインして早く作れるよう工夫。居室とキッチン・シャワー・トイレを離して計画。その間のスペース(屋根付屋外スペース)は食事等で有効活用されている。

 成都市華林小学校紙管仮設校舎 - 四川大地震復興プロジェクト
 仮設住宅事業によそ者を入れたくない。小学校を作って欲しいという要望を受けて建設した紙管建築。ボランティアを募って1ヶ月合宿して3棟建て、3年経った今でも活用されている。

 ラクイラ仮設音楽ホール
 音楽で有名な街。仮設の音楽ホールを提案したところ、お金集めも自分でやるなら良いよと許可をもらった。G8サミットが当地で開催された際に麻生元首相とベルルスコーニ首相が仮設音楽ホールの建設を発表。結局日本政府から6千万円寄付してもらった。防音性能が必要なので、壁に砂袋を詰めて赤い布を巻いている。相馬に子供オーケストラの拠点を作ろうとお金集め中。

 ハイチ地震復興支援 緊急シェルター
 無政府状態なのでとなり町で作って週末に現地で組み立て。

 Paper Partition System 4 / 避難所用 紙の簡易間仕切りシステム4
 東日本大震災の避難所として使われている体育館では、全くプライバシーも人権もない状態。紙管+カーテンで間仕切りを作ることをプレゼンして回った。作るのは簡単だが、作らせてもらうのが大変。役人の中には「見えた方が管理しやすい」とはっきり言う人もいた。50ヶ所以上回って、1800ユニット以上建設。夏は蚊が発生するので、蚊帳を配布する活動も行った。

 コンテナ多層仮設住宅 - 宮城県女川町
 政府の建てる仮設住宅は、住棟間隔が狭くてのぞかれやすくプライバシーがない。とても貧しい住環境。提案してもダメで、実力行使あるのみ。プレゼンして回る。政府の仮設住宅と全く同じ費用(建設費+外構費)で3階建ての仮設住宅を実現。積むことで敷地にゆとりが出来て、駐車場、マーケット、図書館を併設。全国からボランティアを募って、造り付け収納家具を設置。コンテナに居室・浴室・トイレを格納して、その間にリビング・キッチンを計画。

 ニュージーランドクライストチャーチ 紙の教会
 紙管+ポリカーボネイトの教会。

 モニュメンタルな建築と災害支援活動を両立していきたい。

 QandA
Q.災害がある度に飛び出していく活動と、建築家としての仕事。どう両立されているのですか?
A.設計料の交渉はパートナー任せ。やりたいことだけをやっている。必要と思ったらやる。女川町の仮設住宅に住む人たちは従来の仮設住宅のくじに外れた人たち。女川一運が悪いと言っていたが、今では女川一運が良いという。やりがいを感じる。

Q.ポンピドーセンター・メッスにおいて運営側と意見の相違がある場合。どう解消?
A.設計中ということですね?キュレーターは設計に参加しない。館長の力が強く、方針を決める。アスペンでも館長と全て打ち合わせ。日本では設計時は館長がおらず、開館前になってから選ぶことが多い。
 意見の相違はあまりない。コンペ時の要求がかなえられているか。方針が書面ではっきりしている。館長の言うとおりにやった。

Posted by mizdesign at 2013年02月09日 23:54
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