2005年05月30日
●まちのつくりかた 現場監理
「まちのつくりかた」の四回目です(一回目、二回目、三回目)。
実施設計図書がまとまったら、施工者に見積りを依頼します。施工者ごとに得意分野があったり単価が異なったりするので、通常3社くらいに依頼して、比較検討を行います。必要であれば予算と内容との調整を行います。依頼先が決まったら工事着工です。ここから先は現場監理という作業になります。設計どおりに工事が進められているかをチェックし、想定外のことが起こった場合にどう対処するかを指示します。実際に作るのは施工者なのですが、監理がしっかりしていないと似て異なるものになることがよくあります。
下の写真は福島県営鳥見山団地(現在は東桜ヶ丘団地に改名)の現場監理の際に撮った写真です。工事が二期に渡っているので、2000年春から2002年春にかけて喜多方まで通いました。
この計画の最大の特徴は、建物の構造と内装を完全に分離していることです(スケルトン・インフィルといいます)。将来の改装が容易なので、建物を長期に渡って使用できます。写真は構造部のみの状態の居住ゾーンです。長く連続したトンネル状の空間を、ALC版で住戸単位に仕切っていきます。

居住ゾーンに隣接して設備ゾーンがあります。構造床面を低くすることで床下配管スペースを確保して、間取りの自由度を高めています。

住戸内装はプレハブ化して工場製作しています。現場にて建て込み中。

この年は久々の大雪に見舞われました。年明けの現場からの第一声は、「大雪のために地面が1mほど上がってしまい現在必死で雪かき中です」でした。

2005年05月27日
●まちのつくりかた 実施設計
「まちのつくりかた」の三回目です(一回目、二回目)。
基本設計の骨子が固まったら、その内容を基本設計図書にまとめた上で、実施設計へと進みます。ここ段階では、実際の建物をどう作るかという点を詳細に検討し、図面化します。また構造、設備、内外装材、金物等の指定もおこなって、施工者が見積りを作成するのに必要な資料を揃えます。ここから先は通常の建築設計とだいたい同じですが、時々マスタープランや基本設計図書に立ち返って、当初の位置付けや考え方に沿っているか確認します。
下の写真は福島県営鳥見山団地(現在は東桜ヶ丘団地に改名)の基本及び実施設計の際に作成したスタディモデルです。この計画では、私は基本設計から現場監理までを担当しています。写真の日付は1999年3月頃です。
基本設計段階でのスタディモデルの変遷です。東西に長い敷地なので南面採光を最大限確保するところから始めて、西側の公園側も活用したL型配置への移行、折れ曲り点を建物の顔としてのデザインの検討、西向き住戸へも南面採光を確保等。居住性能と周辺とのつながり方の観点から、様々な検討を行います。

実施設計段階でのスタディモデルです。南西角のエントランスホールが、駅から歩いてきたときのランドマーク的な役割を果たすので、その見え方、ボリューム、構造等を検討しています。

スタディモデルを西側から見たところ。公園に面した西側がサブエントランス的な役割を果たすので、階段、エントランスホール、シンボルツリー等で広場的な場所づくりを検討しています。

2005年05月25日
●鉢稲栽培記 なんとか育ってます
植え替えて一週間経ちました。昨日はスズメに5株抜かれ、今朝は雨で容器が溢れで災難続きですが、それにもめげずになんとか育ってます。写真は水抜きをする前です。半分くらい水面下に沈んでいます。葉が何枚か千切れているのは、昨日スズメにやられた名残です。見た目は悪いですが、たくましく思えてくるのは親バカ?

2005年05月23日
●代官山アパートメント 1996
同潤会のアパートメントシリーズの中でおそらく1、2を争うほど有名な計画でしょう。竣工は1927年です。銭湯や食堂は地域の名所として外部の人にとっても親しみのある場所でした。写真の日付は1996年8月12日です。当時は代官山にある設計事務所に勤めていたのですが、取り壊されると聞いてあわてて見に行きました。「さよなら同潤会代官山アパート展」というイベントの最終日だったのですが、そこは既に生活の場ではなくアートワークを展示する廃墟でした。生活の場があっさりと消滅することに驚きました。在るうちにもっと観ておかねば。
大きな木々の中に散在する建物。「古き良き」を画に収めようと思って歩き回りました。今思うと、もっとイベントを楽しめば良かった。

建物外観。意匠的にあまり古いとは思わないのは、時代が一回りしたのか、それほど進歩していないからなのか気になります。

いくつか公開されていた内部の一つ。緑の近さが印象深いです。住んでみたかった。

2005年05月22日
●青山アパートメント 1991
同潤会のアパートメントシリーズ初期に位置する計画です。竣工は1927年です。通りに面した建物とケヤキ並木で形成された「街路空間」は、東京で最も美しい景色の一つでしょう。日付は1991年6月20日です。この景色も既になく、森ビルと安藤忠雄建築研究所による再開発工事が進行中です。学生の頃に見た景色すらどんどん消えてゆく現状に驚きつつも、来年に出現する新しい表参道の顔を楽しみにしています。
街中で「移ろい」を感じることのできる成熟した街路の風景。この後継として、自然と向かいあう力強さと「こうすればいいやん」を実現するパワーをあわせ持つ安藤建築が出現することはとても楽しみです。

雨、花、闇。ここは江戸と地続きだなと実感できる場所でした。

2005年05月20日
●江戸川アパートメント 1991
関東大震災後に設立された同潤会によるアパートメントシリーズの一つです。シリーズの最後期に位置し、竣工は1934年です。当時はその規模、設備において東洋一と称されたそうです。学生の頃、お化けアパートがあると聞いたのがきっかけで、興味を持つようになりました。中庭を囲む美しい配置計画に、少し荒れた独特の雰囲気が加わって、時間の流れを止めたような懐かしい風景を作っていました。日付は1991年4月5日です。先日近くまで行った際に見に行ったら、今風のマンションに建て替わっていました。生活の場なので、時代に合わせて形を変えていくことは必然です。しかし、土地の記憶ともいえる「中庭」の引き継ぎ方はもっと工夫して欲しかった。
左手が6階建ての一号館、右手が4階建ての2号館、全部で260戸の計画でした。現代の中庭型団地、幕張ベイタウンとの比較に興味が湧きます。

桜、雑草、水場。どこにでもありそうで、あまりない景色。70年の歴史は長かったのでしょうか短かったのでしょうか。

2005年05月18日
●鉢稲栽培記 植え替える
植え替えました。籾の間隔が狭すぎてお互いの根が絡み合い、2~3本づつ抜くことができませんでした。仕方がないので1鉢分丸ごと取り出して土を落とし、根をほぐすという手段をとりました。上手くほぐれた分から育ちの良さそうなのを数本ずつまとめて12株分、用意してあった収納ボックスに移しました。全部で40本くらいです。1鉢の3分の1にも満たないです。

残りはどうするかというと、バケツに水を張って仮保存した後、畑に行くことになります。無事に育って欲しいです。

2005年05月17日
●事務所の椅子
当事務所ではgiroflex33という椅子を使っています。2年程前に肩凝りと腰痛が気になり、購入しました。肘掛アームとハイバックは必須、大きな椅子は邪魔になるのでコンパクトなのが良い、つくりはシンプルでメカニカルな美しさが欲しいと選んでいってこれになりました。色は縁の下の力持ちを期待して黒です。日頃の雑な使い方が災いして布地が破れてしまい、本日修理してもらいました。記念にパチリ。日頃御世話になっております、これからもよろしくお願いします。

2005年05月15日
●上野東照宮牡丹之頃 1991
GWも明けたというのに寒い日が続きます。もはや異常気象ではなく、四季そのものが変化しているのかもしれません。浮世絵の視点から見る「今」の四回目です(一回目、二回目、三回目)。
上野東照宮ぼたん苑の開苑は1980年。歴史は浅いのですが、簾、笠、遠景の塔といった小道具を上手く使って、昔からあったかのような雰囲気を演出しています。日付は1991年4月29日です。
塔と笠を一枚に納めた画です。バラバラの角度で並ぶ笠が面白かった。

牡丹と笠。笠を観ていると何だか楽しげに思えてきませんか?

2005年05月14日
●柏駅西口から一小通り商店街へ
今日は「出没!アド街ック天国」柏特集の日です。どんな柏が見られるか楽しみです。
鉄道が街中を通るということは、街が分断されるということでもあります。柏駅を通してつながる西口と東口は、物理的な距離は近くとも精神的な距離は意外と遠いようです。先日の飲み会で「西口の人は東口に行くなら電車に乗って上野に出る」という言葉を聞いてそう思いました。東口は以前に取り上げたので、今回は西口を紹介します。
柏駅西口です。ダブルデッカーでは東口に分がありますが、ステーションモール内には椅子や噴水を使った広場空間が数多く用意してあり、オシャレな立体街路を形成しています。

左手に目を向けると高島屋前のイベントスペースがあります。GW中はイベントで大賑わいでした。その奥にある通路から下に降ります。

右手に映画館、左手に喫茶店が並びます。柏の映画館はどこもちょっと奥まったところにあります。シネマコンプレックスも便利で良いのですが、街中に在るほうが味があって好きです。

突き当りを左に曲がると、柏一小通り商店街です。懐かしい街並に鯉のぼりが泳ぎます。西口からわずか徒歩5分のタイムスリップ小旅行。絶対にお薦めです。

2005年05月12日
●根津神社躑躅祭之頃 1991
浮世絵の視点から見る「今」の三回目です(一回目、二回目)。
斜面に咲く躑躅が艶やかで美しいです。鬱蒼とした緑の中にあるように見えますが、実際には周辺を建物に囲まれています。傾斜を活かした箱庭形式で、開発の中にありながら自然景観を上手く演出した例だと思います。日付は1991年4月29日。観るぞ、撮るぞという気持ちが強すぎてあまり好きな画ではなかったのですが、このあと何度か観にいった中で一番綺麗でした。やはり気合も大切みたいです。
雨に濡れる石畳、斜めに構えた鳥居、傘をさして行き交う人。自分の中の「広重」に忠実な一枚です。

斜面に色とりどりの躑躅が咲き誇ります。公園や垣根で見る躑躅とは全くの別世界が広がります。

2005年05月11日
●旧朝倉邸と庭園 2003
代官山に残された貴重な文化遺産、旧朝倉邸と庭園(当時は渋谷会議所)が開発の危機にさらされたのは今から3年程前のことです。そこから保存運動が起こり、見学会やシンポジウムを経て、現在は重要文化財指定を受けた上での公開に向けて調整中です。ことの経緯は「旧朝倉邸と庭園の将来を考える会」に詳しく載っています。敷地は目黒川に向けての傾斜地に位置し、邸宅内には三田用水が流れていたそうです。
写真は保存運動の一環として開催された見学会に参加した際に撮ったものです。日付は2003年1月18日。この後のシンポジウムで槙さんが「ポーランドの街は戦火で焼けてしまったので、チョコレートの箱絵から再生した。日本は山があって川があると安心してしまう。切実さが足りないのではないか。」とおっしゃっていたのがとても印象に残っています。富士山は見えますが年々その場所は減りスカイラインは乱れる一方、目黒川は流れていますがそこへ至る傾斜を感じることはほとんどない。それが2003年の代官山です。それは「こんなに残っている」のか「必死になって守らないと消えてしまう」のかどちらでしょう?
柏で例えると、花野井の吉田家住宅の建物と庭園にこんぶくろ池の立地を合わせたところに開発計画が持ち上がり、地元有志から始まった保存運動が実を結んだという感じのお話です。今回はひとまずハッピーエンドですが、実際には開発の波に飲まれて消えてしまう例が圧倒的に多いです。そして手賀沼景観は「こんなに残っている」のか「必死になって守らないと消えてしまう」のかどちらでしょう?開発だけでは長く残る街はできませんし、保存だけでは経済は停滞してしまいます。今あるものを活かしつつ街を作っていく方法を根気強く考えていきたいと思います。
玄関です。右手に塀を隔ててヒルサイドテラス、左手に傾斜した庭園が広がります。

建物を通して庭園を見ています。この傾斜が目黒川へと続いていたわけです。

中庭です。前の写真の和室に上がって反対を向いています。こちらは生活のための場です。

2階より旧山手通り側を見ています。右手にヒルサイドテラスB棟が少し見えます。昨日とは対照的な風景です。

2005年05月10日
●代官山富士之景 1999
浮世絵の視点から見る「今」の二枚目です。一枚目はこちら。
東京には「かつて富士山が見えた」という場所が多くありますが、代官山には今でも見える場所がいくつかあります。街中から富士山が見える光景は、それだけで江戸と今が地続きであることを強く感じさせてくれます。
写真はヒルサイドテラスB棟から撮っています。仕事の関係で昔の勤め先に通っていました。日付は1999年3月22日。手前の瓦屋根は旧朝倉邸(当時は渋谷会議所)です。ヒルサイドテラスのA・B棟が完成したのは1969年。当時は周辺に瓦屋根の家並みが残っていたそうですが、今ではすっかり建て変わり、ここが最後の大屋根ではないでしょうか。

同じ場所から撮った夕景です。高雄の山並みの上にスッと立ち上がる富士山のシルエットはとても美しいです。空気の澄んだ日にしか見えませんが、それでけでありがたみがあります。日付は1999年2月4日。右側の木が育ってきて年々見えにくくなっていましたが、今はどうなっているのだろう。

2005年05月09日
●鉢稲栽培記 効果アリ?
長かった連休が明けました。今年は仕事の区切りが良かったので、暦に近い休日をとりました。リフレッシュして再開です。
スズメ対策は効果ありです。檻の中で可愛そう?いえいえ、自然は厳しいのです。人にとっての住宅が自然から身を守るシェルターであるのと同じで、この網は稲にとってのシェルターです。何はともあれ一安心。

と、思った2時間後、イヤーな予感がしたので見に行くと、またやられていました。しかもフンまで残してあります。お前ほんとに鳥か?地中に何かが潜っていてそいつが悪さをするのか?ちょっと現実逃避になりつつも、再度手を打ちます。鳥と思わず小さい猫と考えてみます。というわけで、昨日は一笑に付した黒ネットの登場です。鳥除けネットVer.3。今度こそ、今度こそどうだ!
ここで大切なのは、どんなに不可解な事態に遭遇しても、原因を想定してそれに対して的確な手を打つこと。リフォームとかでも同じです。例え外れても確実に原因を絞り込んでいけます。

2005年05月08日
●鉢稲栽培記 手を打つ
土を買って戻ってきたら、またスズメにやられていました。このままではダメだとわかったので、手を打つことにしました。稲がしゃべれたら「打つ手があるならもっと早くしてくれよ」と嘆いていることでしょう。スマンデス。
というわけで、ありあわせの材料で作った鳥除けネットVer.2。目の細かいメッシュ部分は良いとして、吊り鉢用のフレームをひっくり返して被せた部分や側面に不安が残ります。そこで荷造りロープで目を細かくしてみました。これでどうよ。

追記:2時間もしないうちに再度やられたので、荷造りロープをグルグル巻きにしました。今度こそどうよ。

追記その2:更に1時間ほどして見に行ったら、近くでスズメがチュンチュンしているも鉢の中は無事。大丈夫っぽいです。
●鉢稲栽培記 じゅんびする
一晩明けて気も落ち着いたところで、田植えの準備を進めます。むかーしに買って押入に眠っていた収納ボックスにバケツ役を務めてもらうことにしました。空でチュンチュン鳴くスズメが憎らしいです。

2005年05月07日
●鉢稲栽培記 スズメ襲来?
夕方稲を見てみたら、根っこから引っこ抜かれて散乱していました。鉢の上に載せた白網はそのまま。はじめは状況が飲み込めず呆然としていましたが、大丈夫そうな稲を植え戻しているうちに状況が分かってきました。猫とかのイタズラだと網が動くはずなのでその線はない。根元の籾がほとんどなくなっている。引き抜き方がかなり乱暴で根が土に残っているものも多数。ということはスズメが上から引っこ抜いて籾を食べたということらしい。網設置10日目にしてのスズメ襲来です。雨で土壌が緩んだところを狙われたか?ちなみに被害にあったのは成長の遅かった方の鉢で、もう一つは今のところ無事です。くやしい。

2005年05月06日
●新宿中央公園雨中之桜 1991
浮世絵と同じ視点で今を観るとどんな感じだろうと思って、それに相応しい場面を探し歩いた時期があります。14年くらい前の「今」なので、すでに過去のことですが。
一つ目はちょっと変わった取り合せから。新宿中央公園で、桜の季節に霧の立ち込める中、都庁舎を眺めています。合成した方が早いんじゃないかと思うような場面ですが、雨のぱらつく中でかけました。日付は1991年4月5日。レトロSFっぽい?
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●景観の変動要素から捉えた広重の風景画における情感
桜-景観-広重を結ぶタイムカプセルを開けてみました。私の卒論を「読み物」としてして再構成(論文としての手続きを最小限に削って、図版面を強化)したものです。元の論文は「日本建築学会大会学術講演梗概集(東北)1991年9月」に梗概が収録されています。
□目的
建物の計画において、その周辺環境を考慮することはとても大切です。特に日本は、季節及び気象による時々刻々の変化に恵まれた風土であり、古来より多くの印象や情感(例えば喜びや哀しみ)でその美しさを称え、表現してきました。また広重の風景画は日本の自然美を表現した傑作として高く評価されています。私たちはそれらを観察し、専門家による評論を分析することによって、「開放感」と「閉鎖感」の2つの印象が「情感」形成において重要であると考えました。そこで私たちは、広重の風景画を題材として、「景観の構成要素」が、画から感じられる「印象」と「情感」に対して果たす役割を明確にすることを試みます。
□方法
東京都立中央図書館に所蔵されている広重に関する文献及び図版より、私たちが特に強く情感(喜びと悲しみ)を感じる25枚を対象場面としました(図-1)。次に景観の構成要素を、「近くの山」「遠くの川」といった固定要素と、「降る雨」「満開の桜」といった変動要素に分けて定義しました。その上で上記25枚を用いて建築学科の学生12人に対してアンケート調査を行い、その結果を分析、考察しました。
□結果
「印象」と結びつきの強い「景観の構成要素」を見つけ出し、それらを結びつきの度合いに応じて「創出要因」及び、「強調要因」としました(図-2)。また、「情感」と結びつきの強い「印象」を見つけ出し、これらを情感を発生させる印象としました。また他の印象も情感を強めたり弱めたりしていると考えました(図-3)。
□展望
今回の試みで私たちは、「近くの山」や「遠くの川」といった固定要素だけでなく、「降る雨」や「満開の桜」といった変動要素もまた景観を考える上で重要であることを考察しました。建物を考える上で新たな視点となることを期待します。
図-1 画から感じられる「情感」

●花壇の花 その4
牡丹です。毎日開いては閉じるのですが、朝6時頃だとまだ開いておらずその寝坊っぷりに親しみが湧きます。写真は数日前の午前7:30頃です。ピークをすぎた花を残すと来年の養分まで吸い尽くすそうで、うちではバッサリと切ります。この花も今はありませんが、また来年会えるでしょう。

2005年05月04日
●つくばセンター周辺
つくばエクスプレス開業まであと少し。つながるのは「東京-つくば」なのか、「東京-柏-つくば」なのか様々な駆け引きが見えるようになってきました。柏は快速停車駅で半歩遅れをとった感じですが、既に街があるメリットを最大限活かして沿線開発サバイバルレースに圧勝してもらいたいと思います。昨日つくばに行く用事があったので、センタービル周辺を歩きました。
センタービルには何度も来ましたが、サンクンガーデンが人で賑わっている光景をはじめて見ました。こちらも楽しくなってきます。まちの主役は人だと改めて思います。

とはいえ左に目を移すといつもの廃墟然とした景色が広がります。広場に面したガラス面のスペースが軒並み空のままでは賑わうはずもないですが、どういう意図の広場なのかいつも不思議に思います。災害時の避難用空地?

昼食はオープンカフェでとりました。ばかでっかいショッピングセンターの裏側にわざを道幅を狭くかつ蛇行させた路が作ってあります。人工の街の演出として目新しくはありませんが、これくらいのスケールだとやはり落ち着きます。サンドイッチが値段の割に美味しくなかった。

立派な並木道の歩道が市立図書館、エキスポセンターを越えてずーっと続きます。筑波大学まで1kmという表示があったので調子に乗って歩いてみました。他大学を通り、菊竹さんのオブジェのある公園を横に見、やっとたどり着いてみればそこは医学部キャンパス。芸術学部や体育学部は更にそのずーっと先にあると分かり、今回はここでリタイヤしました。つくばを歩いて回ろうとするのが間違いでした。

●桜が創った「日本」 -ソメイヨシノ起源への旅- (佐藤俊樹著 岩波新書)
ピンクの小山に浮かれた頃、こちらにお邪魔してソメイヨシノを巡る諸説を交わし、実際はどうなんだと思った際に本屋で見かけた一冊です。私にしては珍しくタイトル買いしました。
文献や絵画の分析を通して、桜にまつわる様々なキーワードを網羅しつつソメイヨシノの広がる過程を探る前半はとても面白く読みました。「ピンク一色に染まる桜のイメージが先にあり、それを体現したのがソメイヨシノではないか」という大胆な仮説が提示されるあたりで期待感は最高潮です。ところが後半に入って、「歴史は創られる論」が前面に出てくるあたりから興味が薄れました。ここらへんが著者の方の専門分野なのかもしれませんが、主役は桜のままにして欲しかったです。文体に混乱があることも影響したかもしれません。
桜を鑑賞する上での良い副読本だと思いますが、個人的にはタイトル負けしていると思いました。
2005年05月03日
●まちのつくりかた 基本設計
「まちのつくりかた」の続きです。前回はこちら。
マスタープランが決まったら、それを踏まえつつ基本設計に移ります。マスタープランが骨格作りだとすれば、今回の作業はその肉付けです。建物だけでなく、建物で形成される外部空間=広場にも同じくらい注意を払って計画する必要があります。まちの内装を考えるわけです。
下の写真は倉敷市営中庄団地第二期の基本設計の際に作成したスタディモデルの変遷です。この段階では私ともう一人の担当者が提案を練り、アルバイトの人に模型を作ってもらっています。時期は2000年1月から3月頃です。
はじめは以前に作製したスタディモデルを使って検討しました。左上に見えるのは提案部分の差替パーツです。全体とのつながりを踏まえつつ、比較検討しながら進めていきます。

課題が絞れた段階で、模型をスケールアップしました。対象工区の実際の空間の検討に移ります。住棟を中層化して中庭を空中歩廊で囲むか、可能な限り低層化して直線的なオープンスペースを形成するか、検討が続きます。

塔状の建物を散在配置して空中歩廊でつなぐ案が採用となり、植栽も含めて計画しました。歩廊上にエレベーターと階段を設けることで、他の住棟の人とのコミュニケーションを誘発することを意図しています。

2005年05月02日
●鉢稲栽培記 帽子をかぶった二枚目
雨上がりの朝、帽子をかぶった二枚目に会いました。二枚目の葉っぱが伸びただけなんですけどね、妙にウレシイ。

2005年05月01日
●花壇の花 その3
椿です。地面に落ちた様も風情があります(花ごとポトリと落ちるので、地面に花を敷き詰めたようになります)。昔はその様子が嫌われたそうですが、今では観光写真でよく見る絵になりました。すました顔してちゃっかり売り込む商魂がナイス。


