2007年08月15日

●日本美術院研究所跡@五浦海岸

 明治39年(1906)、岡倉天心は日本美術院を五浦に移し、彼と共に4人の画家(横山大観、菱田春草、下村観山、木村武村)が移住します。そこで修行僧のような出で立ちで制作に励む4人を写した有名な写真がありますが、何かの展覧会でそれを見てとても興味を持ちました。東京で活躍していた俊英が、何ゆえ断崖に張り付くような場所に移り住み、制作に励むに至ったのか?

 五浦海岸の南から二つ目の浦「中磯」付近にある日本美術院研究所跡。翌年(1907)創設された文展で、天心、大観、観山は審査委員として参加。春草、武村はそれぞれ二等賞、三等賞に輝きます。文字通り崖っぷちからの返り咲き。
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 4つ目の浦「大五浦」と5つ目の浦「小五浦」の間にある天心旧邸を核にした茨城大学五浦美術文化研究所
 古い料亭の古材を再利用したという旧邸は、外観は手が入っていますが内部は概ね旧状を保っているそうです。ただし立入禁止なので外から眺めるのみ。
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 天心設計による六角堂と、そこから眺める太平洋。夏の晴れた日の景勝美は素晴らしいです。その一方で、曇天時の灰色の空が広がればそうとう鬱々とした雰囲気になりそう。別荘には良いが、住むにはちょっと厳しそう。当時の彼らの決意がこの地を選ばせたのか。。。
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Posted by mizdesign at 2007年08月15日 22:50
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