BAO/BABB.Session01の感想
まだちゃんとした自己紹介などもしていないのですが、水上さんに教えてもらって、先の佐藤さんの講義の感想を書いています。このセッションの3回目を担当する五十嵐正人です。
以下、感想を・・・。
BAO/BABB.Session01「集まって住む」1st.「エーゲ海では、こんなふうに集まって暮らしている」を終えて、今でも佐藤さんの講義が頭の中で回っています。
僕は障害者の生活支援の仕事をしています。そのせいか聞いている講義の一つ一つが日本の福祉の状況に繋がってイメージされました。
たとえばエーゲ海の白い家の理由。それは抗菌目的という歴史によるものだといいます。またカマボコ形の屋根。それは洞窟のように掘られた家の天井部を形作る力学上の理由による形が由来だとのこと。存在している家のフォームが歴史や由来を持っているということの自然さを、僕は痛切に感じたのです。
それは、日本の国で福祉に関わる僕にとっては、目から鱗の話でした。いま、障害者福祉は「施設から地域へ」というスローガンのもと、グループホーム作りが進められています。しかし、そのグループホームの認定基準の、なんという、歴史と由来のないことか!
受け継いでいる歴史は、払拭すべきはずの施設の歴史です。障害者が人としての地域生活を送るためのグループホームではなく、障害者をいかに保護して福祉事業者の雇用を保障するかという施設の歴史と由来しか受け継いでいない、貧困な認定基準。
障害者の地域生活が、普通の日本人としての生活であるならば、受け継ぐべき歴史と由来は、通常の日本人の暮らす家のそれであるべきなのです。厚生労働省という「もう一つの日本」の歴史と由来によって作られているグループホームとくらべて、エーゲ海の「集まって住む」には、自然な心地よさを、僕は感じました。
そして、佐藤さんの講義終了間際、僕は水上さん(次回の講師です)と話しながら、「心地よさ」を考え直すことが出来ました。はたしてそこに住んでいる人達には快適な家であるのかどうか、という疑問を水上さんとの話から思い浮かべたのです。それによって、「心地よさ」の正体をとらえ直すことになりました。
僕が感じたエーゲ海での「集まって住む」の「心地よさ」それは歴史の継承の自然さだけではなかったようです。もう一つ、佐藤さんが話していた大切なこと、「心の拠所」の存在です。エーゲ海でのそれはファミリー・チャーチでした。もちろん「心の拠所」になるものは、宗教とはかぎりません。ではグループホームにおいて、現在考えられる「心の拠所」とはなんなのか。思いついたのは、残念ながら「社会福祉六法」でした。これが拠所となっているかぎり、障害者が本当の意味で通常の日本人の生活をしていくことは困難なように思えました。
障害者の地域生活の大切な要素の一つは、「社会福祉六法」にかわる「心の拠所」を見つけることにあるのではないか。
佐藤さんの講演は、エーゲ海を通して、日本の福祉を考えていくための二つの視点を僕に与えてくれました。この二つの視点は、ちょうど僕が日々の暮らしの中で目指していることを、後押ししてくれることでもありました。僕ら夫婦はいま、血族でも姻族でも無い人と3人で暮らしています。その人は障害を持つ人です。この3人の暮らしが目指している方向は、福祉から遠ざかることにあります。これについては、3回目の時に、僕が話すことになっているので、その時に・・・。
それよりも今は、佐藤さんの講義を咀嚼し直すことに集中しましょう。そしてそれが一段落したなら、次回の水上さんの回の宿題を片づけなければなりません。
3回の講義が終わった時、僕はどれほどのものを得ているのか。自分のキャパシティを空腹にしながら、楽しみにしています。
以下、感想を・・・。
BAO/BABB.Session01「集まって住む」1st.「エーゲ海では、こんなふうに集まって暮らしている」を終えて、今でも佐藤さんの講義が頭の中で回っています。
僕は障害者の生活支援の仕事をしています。そのせいか聞いている講義の一つ一つが日本の福祉の状況に繋がってイメージされました。
たとえばエーゲ海の白い家の理由。それは抗菌目的という歴史によるものだといいます。またカマボコ形の屋根。それは洞窟のように掘られた家の天井部を形作る力学上の理由による形が由来だとのこと。存在している家のフォームが歴史や由来を持っているということの自然さを、僕は痛切に感じたのです。
それは、日本の国で福祉に関わる僕にとっては、目から鱗の話でした。いま、障害者福祉は「施設から地域へ」というスローガンのもと、グループホーム作りが進められています。しかし、そのグループホームの認定基準の、なんという、歴史と由来のないことか!
受け継いでいる歴史は、払拭すべきはずの施設の歴史です。障害者が人としての地域生活を送るためのグループホームではなく、障害者をいかに保護して福祉事業者の雇用を保障するかという施設の歴史と由来しか受け継いでいない、貧困な認定基準。
障害者の地域生活が、普通の日本人としての生活であるならば、受け継ぐべき歴史と由来は、通常の日本人の暮らす家のそれであるべきなのです。厚生労働省という「もう一つの日本」の歴史と由来によって作られているグループホームとくらべて、エーゲ海の「集まって住む」には、自然な心地よさを、僕は感じました。
そして、佐藤さんの講義終了間際、僕は水上さん(次回の講師です)と話しながら、「心地よさ」を考え直すことが出来ました。はたしてそこに住んでいる人達には快適な家であるのかどうか、という疑問を水上さんとの話から思い浮かべたのです。それによって、「心地よさ」の正体をとらえ直すことになりました。
僕が感じたエーゲ海での「集まって住む」の「心地よさ」それは歴史の継承の自然さだけではなかったようです。もう一つ、佐藤さんが話していた大切なこと、「心の拠所」の存在です。エーゲ海でのそれはファミリー・チャーチでした。もちろん「心の拠所」になるものは、宗教とはかぎりません。ではグループホームにおいて、現在考えられる「心の拠所」とはなんなのか。思いついたのは、残念ながら「社会福祉六法」でした。これが拠所となっているかぎり、障害者が本当の意味で通常の日本人の生活をしていくことは困難なように思えました。
障害者の地域生活の大切な要素の一つは、「社会福祉六法」にかわる「心の拠所」を見つけることにあるのではないか。
佐藤さんの講演は、エーゲ海を通して、日本の福祉を考えていくための二つの視点を僕に与えてくれました。この二つの視点は、ちょうど僕が日々の暮らしの中で目指していることを、後押ししてくれることでもありました。僕ら夫婦はいま、血族でも姻族でも無い人と3人で暮らしています。その人は障害を持つ人です。この3人の暮らしが目指している方向は、福祉から遠ざかることにあります。これについては、3回目の時に、僕が話すことになっているので、その時に・・・。
それよりも今は、佐藤さんの講義を咀嚼し直すことに集中しましょう。そしてそれが一段落したなら、次回の水上さんの回の宿題を片づけなければなりません。
3回の講義が終わった時、僕はどれほどのものを得ているのか。自分のキャパシティを空腹にしながら、楽しみにしています。
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